言葉のコレクション
ここでは、心に残った言葉を書き綴っていきたいと思います。
読んだ本。会話やメールでやりとりした言葉。(あ、友人の方、
この欄に転載する際は、許可を得てからに致しますので
ご安心くださいね。)メディアで触れた言葉たち。
人間の表層記憶は、はかないものです。
(深層記憶は、脳の海馬という部分で保存されていて、
夢の中で繰り返し再生されているそうですが。)
せっかく触れた印象的な言葉を、忘れてしまっては
もったいない・・・。ということで、このページを設けました。
更新した日付の新しい順に並んでいます。
『・・・「働くことにより経験を積んだ」とあって、これに共鳴を覚えました。
そうなんです!(←強調) 読書も映画鑑賞もあれもこれも、
創作には必要なことかもしれませんが、
いちばん大切なのは「日常を生きること」だとZamzaは考えています。
その中から創作の眼が養われるのだと思います。』
(ZamzaさまがHPの掲示板に書いてくださった言葉より)
何もコメントはいらないでしょう、このお言葉に・・・。
異論のある方はたぶんいらっしゃらないのでは、と思うのです。
日常を生きることの中からしか、本当の言葉は生まれません。
けれども、主婦でありながらどう社会と繋がっていくか、とか
働くなら、どう時間を工面して書く時間を作るのか、・・・
みんなが同じ悩みを抱えていると思うのです。
きっと、私だけじゃないはず。
このお言葉を書かれたZamzaさまにせよ、お忙しい
毎日の中で、時間を工夫して作って素晴らしい作品を書かれた
方なのですから。みんな、条件は同じはずなのです。
それぞれの生きる毎日は違っても、
それぞれの日常にはめられた手かせ足かせを、
目をそらさずに見つめることで、
創作の眼が養われていくのでしょう。
(2002・02・13)
「私は春がいいな〜。桜が好き。
あんなふうに、人の心に強い印象を残したまま、
さ〜っといさぎよく散っていきたいものです」
(深月咲楽さんのメールより)
気がつけばそろそろ梅の季節も近いこの頃。
梅と紅葉は比較的長く楽しめますが、桜は見ごろを逃すとすぐに散ってしまいます。
私の住んでいる地域では、桜はだいたい4月第一週が見ごろです。
その頃は、雨も多く、4月8日ごろの入学式の日に、
何故か毎年のように雨が降って桜が散ってしまうのです。
花見は連れがいないと味気ないもの。
私は3月に入るとそわそわし始め、
3月最終週と4月第1週の予定を友人たちと合わせます。
花見のスタイルにもいろいろありますが、
私はレジャーシートをひいてのお花見は好きではなく、
桜の下を通り抜ける方が好きです。その後にお店で飲んだり食べたり・・・。
夜桜も昼の桜も、ちらほら咲きも満開も花吹雪も、桜には独特の風情がありますね。
花吹雪の日は何故か私が見た記憶では曇り空が多く、うら寂しい記憶があります。
けれど散りかけの花吹雪がいちばん素敵、
という深月さんのような方もいるのだなあ、と面白く感じたひとことでした。
(2002.1.31)
「私にとって小説を書くことは、理想を書くこと。
詩を書くことは、自分の内面と向かい合うこと。
だから、詩を書くことは難しい。」
(穂村思季さんの言葉より。原文どおりではないのですが。
私がうかつにもデータを失ったので・・・)
なるほどなあ、と思った言葉でした。私は、詩なんて書いたことのない
ヒトだったのですが、思季さんの幻想的な詩を読んで、詩に
目覚めました。思季さんの詩は幻想的です。で、この言葉と比較して
思季さんの詩を読んで、ああ、美しい宝石のような言葉の中に、
自分の内面を捕まえて表現することが出来るものなんだ、と。
自分の心の奥底を見つめて、言葉にあらわすことで傷ついた心の痛みを
浄化することが出来るのかもしれない。
・・・と思い、去年の秋ごろは詩にはまっておりました。
だけど私の詩は即物的で散文的。幻想的な言葉が出てこない・・・。
小説は理想を書くこと。なるほど、そうですね。世間には
いろんな小説があるけれど、例えば軽いジュニア小説だって、ファンタジー
だって、ミステリだって、SFにしても、ホラーでさえも、そこには
予定調和があるもの。現実には存在し得ない、
「終わり」があるのがフィクションなんですよね。終わりというカタルシス。
現実の対比だから、理想という言葉がふさわしい。そう思いました。
思季さんの言おうとしたこととは、ちょっとずれているかも
しれませんが、私の心の中にはそんな風に残っている言葉です。
(2002.1.22)
「朝目覚めると音だけで雪がふってることがわかるのです。
動物だけではなく、万物が口を閉じてしまうのでしょうか。
妙に静まりかえった朝は雪の日です・・・・・・・・」
(『眠れぬ夜の夢』 伊藤ゆきえ 著、より引用)
著者が病床で書いた手紙の一部分です。
雪国に住む人は、「無音」という音だけで雪を感じることが
出来るのでしょうか。雪がほとんど降らない地域の私には
分からない感覚です。伊藤ゆきえさんは宮城県の方です。
著者は脳腫瘍にて3年間の闘病の末、平成5年に25才で亡くなった
看護婦さんです。この本は、古本屋で見つけたのですが、「95円」の
値札が貼ってあることが、筆者に対して何だか申し訳なくて。
すばらしい本なのです。若くして病魔に冒され、化学治療で頭髪を
失い、開頭手術後には脳骨髄液が創(縫合部分)から漏れるという恐怖。
それでも生きることを望み続け、すばらしい本を残した伊藤ゆきえさん。
私はこの本を一生大切に持っていたいと思いました。
(2002.1.22)
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