随筆(1)[ 9・11 心の傷み ]




                             

『アメリカ同時多発テロ事件に思うこと』   彩木 映
※2001年9月、事件直後に書いた日記です。この頃はまだ、アフガニスタンへの空爆
は始まっていませんでした。空爆が始まってからは、意見もかなり変わってしまいました
が・・・。今はただ、ひたすら平和を望みます。


[甘かった]


 アメリカ同時多発テロ事件を知った日から、自分の生活に関する問題のみに占められ
ていた、平凡な31才である私の頭の中に、珍しく社会問題への関心が割り込んできた。
震災以来、久し振りに体験する心理状態だ。
 これから、時局がどう動いていくのか。世界はどうなっていくのか。日本はそれにどう対
応するのか。皆がそれぞれに、関心と危惧を持って、事態に注目していることだろうと思
う。
 今後の政局の推移について、勉強不足の私には、予測をしたり、批評をしたりする知
識はない。ただ、この短い期間に、私なりにたどり着いた考えがある。時局がどう変移し
ようと、この考えは、当面、自分の中で変化することはないと思う。
 それは、『日本人として、自分なりの愛国心を持たなければ』という気持ちである。
 私には、愛国心がなかった。選挙にさえ、ほとんど行ったことがなかった。行ったところ
で、利益団体の組織票に勝てるはずもない。時間の無駄だ。と、感じていた。震災後の、
人の心が荒廃した、暗い街の中で働く毎日の中で、厭世観が、もしくはある種の社会に
対する諦念が、自分の中に沸き起こるのを、どうしても止められなかったのだ。
 だけど、それではいけない。もう少し、頑張ろう。人間として生まれてきたのだから。単
純なことだけれども、ニュースにもっと、時間をかけて目を通そう。新聞を読もう。そして
選挙に行こう。そう思いはじめた。


 私は自民党が嫌いだ。小泉総理も嫌いだった。
 公立学校に対する、国歌斉唱、国旗掲揚の義務付け。首相の靖国神社参拝。周辺事
態法の施行。最近の政府の右寄りの動きに、私は、鳥肌が立つような不安と焦燥を覚え
ていた。
 しかも、首相が小泉氏に代わってからというものの、手のひらを返したような、国民の
圧倒的内閣支持率。単純すぎてあいた口がふさがらない・・・。
 何とも不気味だ。私達の手の届かないところで、次々に法案が成立していく。それは、
日本国憲法が、「間接民主制」を採用しているからだけれども。

 右翼も左翼も嫌悪する。唯一の被爆国として、平和主義を掲げる。それは、私の世代
が、戦後の義務教育の中で教えられ、植え付けられた意識である。
 その、学校で教えられたことを、自民党と小泉さんが覆そうとしている、ように思えた。
 太平洋戦争における、日本の戦争行為の、歴史的評価の見直し?今更?
 何を目的に、誰がそんな恐ろしいことを目論むのか?
 新聞を読むだけでは、私には、裏に潜む構図を読み取る力はない。
 しかし、最近の日本は確実に右寄りの道を歩んで来ていた、とは思う。
 それが何故か、私には分からない。が、冷戦終結後、アメリカに新たな脅威と見なされ
ていたのは、日本の経済力だった。アメリカに、様々な政治的圧力をかけられて、日本
の中で、国民レベルでも、また政権レベルでも、反米感情が高まってきていたのではな
いか。
アメリカに頼らず、自立したい、という気持ちが。
 ところが現状は、「News Week」の表紙に『鬱病ニッポン』と見出しが載るほどの、空前
絶後の不況。
 そして首相は「痛みを伴う聖域なき改革」を唱える。
 日本の経済が、どうしてこんなに不況に襲われたのか。不良債権ばかりが諸悪の根源
ではないだろう。バブル崩壊の他にも要因はないだろうか。
 デフレ不況には、中国を始めとするアジア各国との、安価で質の良い労働力が生み出
す経済的競争に、敗北しつつある、という現状が、明瞭に絡んでいるはずだ。
 過去の世界大戦は、経済恐慌が引き金となっている、と歴史で習った記憶がある。
 今、日本は、空前絶後の大不況の最中にいる。終戦後56年(!)も経っているにもか
かわらず、靖国神社参拝を、支持率の低下も恐れずして首相が敢えて行う意味は、どこ
にあるのだろう・・・?えひめ丸の事故や、在日米軍基地兵士による婦女暴行事件など
が重なって、反米ムードが高まっている、このご時世に。
 戦争を予期し、正当化するための準備を着々と与党は進めているかもしれない。そう
思うのは考えすぎだろうか。いや、きっと私たちには流れていない情報があるはずだ。
 だから、私は与党と小泉総理が嫌いだった。
 が、今回のアメリカ同時テロ多発事件への迅速な対応を見て、私の評価が変わった。
異論はたくさん見聞きしたけれども、この事件への対応に限り、私は総理の対応を高く
評価する。
                        

                       [危機管理]

 今回のテロ事件は、犯人側から見た場合、失敗だったのではなかろうか。
 テロ勃発当初、行方不明になっていた飛行機は、報道されている4機よりも多かったと
いう。
 犯人側の意図は、アメリカの中枢、経済と政治の両方の機関を壊滅させることにあっ
たのだろう。もし、テロが完璧に成功していたら、日本はどうなっていたのだろう?
 もしも、ホワイトハウスに飛行機が突っ込んでいたら?
 もしも、大統領が死亡し、国民へメッセージを出せない状態が続いていたら?
 もしも、日本の米軍基地の兵士たちが皆、非常事態のため、アメリカへ帰還してしまっ
たら?
そして、犯人も、その意図も、特定出来ないままに、テロリストの標的が、どうやら先進国
の壊滅を狙ったものらしく、次は日本になるかもしれない・・・と怯える毎日が来ていた
ら?
 米軍のいない日本で。

 すべては仮定にすぎない。テロは、中途半端な成功を収め、アメリカは激怒し、犯人に
断固として対決する姿勢を示した。日本はそれに追随し、同盟国として支援する姿勢を
示した。
 私は、それで、よかったのだと思う。それしか、日本のとるべき道はなかったのだと思
う。
 犯人には犯人の言い分があるだろう。ビンラディン氏が真犯人かどうかも、まだ分から
ない。犯人だとしても、彼には一個人的として、理解をまったく覚えることが出来ない訳で
もない。アメリカは彼を暗殺しようとしていたのだから。そして、アメリカが国際舞台でどこ
までも自己中心的なリーダーシップを取り続けようとすること、それに対する疑問も、確
かにある。アメリカは、タリバン政権の壊滅、というシナリオを想定して、亡命中の王や、
北部同盟と接触し、アフガンの後の政権を樹立する計画さえも立てている。外政干渉も
いいところだ。
 第二次大戦後の日本も、そうやってアメリカの指導のもとに、新政権が発足した。私達
が愛してやまない平和憲法の原案は、マッカーサー草案と呼ばれるものである。日本国
憲法は、日本人の作った憲法ではないのだ。
 正義は、アフガンにあるか、アメリカにあるか。
テロさえなければ、正義はアフガンにあると言いたいところだ。けれど、テロは起こってし
まった。
 私達日本人は、アメリカを非難してはならないと思う。今、現に、アメリカに住む人すべ
てが、次のテロに怯えている。そして、航空業界が、大きなリストラに見舞われている。
世界の空の安全も、この事件で脅かされた。
 ブッシュ大統領の演説は、過激だが、効果のあるものだった。
「テロリストと、断固として、戦う」
 このメッセージは、国民の安心感を高めたと同時に、テロリストへの心にも真っ直ぐに
届いたと思われるからだ。
 今、日本の評論家達が、あれこれ討論している「報復は、民主主義の現代社会では認
められない。犯人は、国際法廷で裁かれるべきだ」という内容を、仮に大統領が演説の
内容に盛り込んでしていたとしよう。
 おそらくは異文化であろう、犯人の頭に、「民主主義」や「国際法廷」の概念は果たして
存在するのだろうか?
 「断固として、戦う」というメッセージなら、古今東西、どんな文化の人間にも、通じる概
念であるだろう。その意味で、あの演説は、効果のある内容だったと思うのだ。
先進国といっても、神ではない。私達は、同じ人間同士にすぎない。
 まして私達は日本人だ。日本単独で、今、仮にどこかの国と戦争になって、勝てるだろ
うか?
私は、勝てないと思う。
 日本は弱いはずだ。
                        


                        [自衛隊]
 
 自衛隊員の方々、また、そのご家族は、今回、本当に気の毒だと思う。
 多分、彼等の多くは、毎日の訓練の中で、「洗脳」されて有事への覚悟は出来ているだ
ろう。けれども、皆が、軍事支援の是非を声を高くして云々しているにも関わらず、自衛
隊員の声は私たちには届かない。
 仕事だから当たり前?
 けれど、就職のないこの世の中、やむなく自衛隊に就職した人だって多いだろう。決し
て人ごとではないのだ。
  私たちは自衛隊を「国家権力」の象徴のように見ている。けれど、隊員一人一人は、
普通の人間にすぎない。戦後教育の中で、平和に「洗脳」されて育った、私たちの中の
一人にすぎない。
 と、いうことは・・・、人的支援というけれども、平和ボケした日本の自衛隊に、果たし
て、支援になるほどの強い軍事力があるのだろうか・・・?
 自衛隊は、現在、陸海空軍併せて、22万人ほどの隊員が在籍しているらしい。22万
人。この軍隊が、日本の軍事力の全てだ。これは、多いのだろうか、少ないのだろう
か?
 私には少ないと映る。22万人の年齢構成はどうなっているのだろう。
 果たして、実戦力たりうる、官僚ボケしていない、体力のある若い隊員はどれくらいい
るのだろう?
 戦争慣れした他国の軍隊と単純に比較はしない方がいいと思う。実数の4分の1ほど
の戦力しか、持っていないと見なした方がいいかもしれない。
 国防費はかかっているけれども、軍事力は日本はダントツに弱いはずだ。
 戦争を想定していないのだから。
 腫れ物にでも触るような、パンドラの箱を開けるかのような、自衛隊の扱い。
 国民は、「平和主義」のもとで、自衛隊を必要悪と見なし、敢えて直視しようとしない。
いざ自衛隊が出動する時には、かならず論議が巻き起こる。
 結果、自衛隊の実像が、見えない現状になってしまっている。
 これは、良くないことだ。自衛隊の存在が、平和憲法に抵触するか否かの論議はとも
かく、現に国防費は支出され、隊員は22万人にも上るのに、その実像が見えてこない。
 日頃、彼等は何の仕事をしているのだろう・・・?訓練に明け暮れる毎日なのだろう
か。勿論、自衛隊が出動する事件も起こっている。けれど、人数の割には、実務が極端
に少ない集団になってはいまいか。
 私は、アフガニスタンへの軍事攻撃には、ぞっとする。派遣される自衛隊員やご家族
の気持ちを考えても、胸が痛む。
 けれども、自衛隊とは、いったい何だろうか。
 日本が持つ、唯一の軍隊が、タブーであった時代からは、いい加減卒業しなければい
けないのではないか。
 自衛隊が不要なら、廃止すればいい。国庫は火の車なのだから。
 けれど現実には、自衛隊は、不要とは言いきれはしないだろう。ならば、私達は、私達
の血税から作られている、唯一の軍隊が、どういう存在であるかを、もっと知るべきだ。
 弱い軍隊を、強いと、過大評価してはならない。
 一方、今回、もし日本の自衛隊の、国際的な実力水準の低さが露呈したところで、自
衛隊を批判することも出来ないと思う。彼等は、「後方支援」とはいえ、命がけで戦地へ
赴くのだから。批判は、士気の低下を招くだけだ。
 この現状を招いたのは、アメリカではない。私達日本人だ。
 もしも、選挙活動で、たびたび宣伝されるように、「アメリカ軍基地を撤廃」し、「違憲た
る自衛隊を縮小あるいは廃止」されてしまったら、有事の際はどうなるのだろう。
 私なら、恐い。オーストラリアあたりに亡命したくなってしまう。
                         
                               
                    [国費の使い道]

  医療制度改革の試案が、厚生労働省によってまとめられた。概要は、被用者保険の
本人負担分を三割負担に引き上げること、高齢者医療の対象年齢を段階的に75歳
(!)まで引き上げる、などの、医療費に対する保険給付の削減である。
 その一方で、軍事支援や難民支援法案は、小泉氏の強いリーダーシップのもとで、こ
の短い期間に、整備されようとしている。
 難民支援?軍事支援?えっ、嘘でしょう・・・?今の日本の、どこにそんなお金があった
のかしら?狐につままれた気分になってしまう。
  税金の配分は、もちろん予算審議会で国会の決議を得て決まるものなのだろうが。こ
んなに、民生、福祉レベルでは、介護保険利用者や、生活保護受給者が増えてきている
のに。
そして、困ったことだ。今回提出された改革試案は、テロ事件の報道に隠れて、あまり論
議をかもしていない。国民の生活を直撃する超改悪案なのに。報道は、いつだって目先
の派手なニュースばかりを取り上げる。そして、改革が決定してから、騒ぎ始めるのだろ
う。行政は何をしているのだと。
 無責任、甚だしい。報道は、もっと前もって騒いで欲しい。そして世論を、かきたてて欲
しい。テロ事件より、余程、医療改革の方が、私達の暮らしを直撃する、恐ろしいニュー
スなのだ。扱い方が小さすぎる。報道は、報道の持つ影響力に見合った使命を、もっと
自覚してほしい。

 国費、とは(当たり前だけど)税金である。税金をどう配分するか。それが予算だ。
例えば、国に対して訴訟をする、ということは、国に対して税金を受ける権利を主張す
る、ということである。
 いろんな「弱者」が、国に勝訴するたびに、マスコミは美しく取り上げるけれども、国敗
訴のニュースは、極論すると、皆の今月の給料から、勝訴した人々の懐にお金が行く、
ということなのだ。生活保護にしても、難民支援にしても、そう。福祉とは、皆の税金か
ら、弱者に対し生活保障を行う、ということなのだ。
 小泉さんが、ハンセン病患者と和解したシーンは印象の深いものだった。長い年月、
誤った政策のために隔離を余儀なくされた患者は気の毒だ。その患者たちと涙を流して
握手する小泉総理。
 この場面に、私は何ともいえぬやるせなさを覚えた。
 総理は「国」の長だと思っていたのだが。国として過ちを認める。それはよしとして、涙
を流して法廷上のかつての原告団と握手するのは、被告たる国の長としてはいかがなも
のか?小泉さん、あなたは誰ですか?私はテレビを見て、そう思っていた。
 スタンドプレーもいいところだ。
 内閣総理大臣、あなたは、行政の「長」なのに。では、今までハンセン病患者を迫害し
てきたのは、誰なんでしょう。「官僚」と言われる、一般公務員なのですか。
私はそう思いながら、冷たい目で小泉さんの涙を見ていた。
 他にも、戦争責任の訴訟をはじめとして、国に対して、訴訟を起こしている個人や団体
は数知れないのだ。その人たちすべてに涙を流して握手したらどうなるのか。
 そして、国に対して彼らが勝訴した場合、支払われる補償金は、我々の血税の中から
なのである。
 訴訟を起こしている方々の苦しみは、想像を絶するだろう。けれど、国が彼らに敗訴す
ることにより、彼らには税金が支払われるのだ。
 その一団体に、総理として、涙を流して握手するなど、あってはならないことだと私は思
う。その行動が、苦しんできた人々の心をほんの少しでも癒すとしても。国民の目にどん
なに美しく映るとしても。
何故なら、内閣総理大臣は、行政の「長」であるのだから。長が「国」という悪役を演じる
職責から逃げるのは、きたないように思うのだ。

                                        (2001年9月)

















随筆(2)[ 公衆便所一考 ]


随筆(0) ☆毎日更新。日記ですが、覗いていって頂ければ有難いです。


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